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​丸亀春日神社

「神に宣り、神に問ふ社」 
 

祝詞。

神話の時代から詠み継がれる、神への願いの言葉。
その語源は一説に、”宣
(の)り問う”こと

であると言われます。

当社の主祭神・天児屋根命は、その昔、

天照大御神のお隠れにより世界が闇に包まれたとき

大御神に祝詞を奏上し、世界に光を取り戻しました。

 

その祝詞の力は何千年の時を超え、

神の手から人の手へと受け継がれます。
千年を貫き、千年を生きた言葉、祝詞。

 

思いを言葉にして、神に問う。
そのとき、祝詞に秘められた神の力が動き出します。

 

どうぞ天児屋根命の御前にて、

語りかけてみてください。


諦められない夢を、

切実なる願いを、

限りない愛を。

神に宣り、神に問ふ社。

 

この場所があなたにとっての、
新たな始まりの場所であらんことを。

 

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   御祭神

○丸亀春日神社と天児屋根命


  当社の氏子内である丸亀市川西町出身の藤田讃陽という書道家の先生がおられました。讃陽先生は昭和27年11月10日継宮明仁親王殿下の成年式加冠の式典​において、天皇陛下に奏上する祝詞を謹書する命を賜りました。これを記念し、宮内庁より歴代天皇御宸翰を賜り、のちにご家族の方により当社に奉納されました。そんな書聖と呼ぶにふさわしい藤田讃陽先生の功績を讃え、「讃陽先生碑」が当社の境内には建立されています。

このように天皇を補佐するという天児屋根命の役目、さらには祝詞の神の御力は現代となっても尚、この地、丸亀春日神社にも受け継がれています。

天児屋根命(あめのこやねのみこと)

 日本神話において、天の岩戸開きの話の中で、祝詞を奏上したことから祝詞の神と呼ばれます。また天照大御神から、天孫(のちの天皇)を助けるようにと神勅を授かり、天孫降臨の際は邇邇芸命に仕え、重役をになったことから天孫輔弼(天皇を助ける)の神とも称えられています。

大和朝廷で神事を司った中臣氏、つまり後の藤原氏の祖先神であり、天皇を補佐するという役割は神話の時代からも長く、変わらずに引き継がれることとなりました。

 当神社の起源は康保元年(964)に龍王村地頭職菅原某により創祀されたとされます。鎌倉時代の記録によると旧西二村郷(現在の川西町)には、藤原氏に所縁のある興福寺領の荘園が置かれ、その中心に春日神社が位置するため藤原氏の氏神である春日大社から勧請されてきたと考えられます。

 

 天正年間に長曾我部元親の侵攻を受け本殿は焼失しましたが、御神体は炎の中から救出され、寛永14年(1637)の本殿再建に際して再び奉斎されました。明治5年(1872) 8月には、旧社格制度において村社に列せられています。

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​御由緒

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​         
 
 
          末社

○川西宮

 

 春日神社の氏子の中で、先の大戦において名誉の死を遂げられた英霊を祀ります。

○発明神社

 

御祭神:素戔嗚尊 大己貴神 三穂津姫

発明にまつわる偉人:
聖徳太子 平賀源内 北里柴三郎 二宮忠八他計22名


 発明学会の創立者であり会長である豊澤豊雄氏により、「日本古来からの先人から創造力、発明力などで、世のため人のために尽くした22名の方々を神として祀り、その人々を敬い尊敬することによって、氏子たちの創造力が増し、学問向上し、大きな財産をつくることができる」という趣旨のもとに建立されました。

○双子山神社


御祭神:大山祇神


 春日神社から約1km南に位置する双子山の山頂付近に鎮座します。元は丸亀城のある亀山に鎮座していましたが、慶長7年(1602)に生駒氏が丸亀城築城の際、今の地に遷座させました。

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境外末社

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